城崎町屋地ビールレストラン GUBIGABU
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地ビール事業のスタート
地ビール事業のスタート
私は1997年11月に城崎で地ビール事業をスタートしました。そのきっかけは城崎にはおいしい食材がたくさんあること。そして水が素晴らしいことです。兵庫県北部はもともと地酒の産地として有名です。それは水がいいから。その水を使って、かにをはじめ豊富な魚介類、そして但馬牛、新鮮な野菜など地元の食材に合う地ビールを造りたい、そういう思いで地ビールを始めました。
と言っても一零細企業が地ビールを事業化するのは簡単なことではありません。免許の取得、銀行交渉、プラントの購入、設置、レストランの開店など準備に2年近くかけました。1995年に地ビールの免許取得の条件が緩和されてから、日本にも数多くの地ビールメーカーが誕生しました。その多くは、商社や大手のビールメーカーからプラントを輸入していました。私もいろんな企業から話を聞きましたが、商社などを経由するとプラント代だけで7000万以上かかり、とても事業化は難しいと判断し、直接アメリカの業者からプラントを輸入することにしました。アメリカは実はクラフトビール(日本でいう地ビール)のメッカで、1000を超える地ビールメーカーがあります。醸造技術もしっかりしており、醸造技術者を育てる学校もありました。そこで私はアメリカでの実績が豊富で、醸造学校も経営している会社からプラントを直接輸入しました。手続きも全て自分でやったため経費は半分以下で済みましたが、打ち合わせから契約まですべて英語で苦労しながらでしたが、いい勉強になりました。免許取得のための書類も全部自分で作りました。コンサルタントに頼むとそれだけで数百万。ブルーワーも醸造学校を卒業し、現場でバリバリやっている人に来てもらいました。ここまでの作業を自分でやったことが資金面だけでなく後々役にたったと思っています。知識・経験だけでなくどんなビールを造るのかを考えるす。
と言っても一零細企業が地ビールを事業化するのは簡単なことではありません。免許の取得、銀行交渉、プラントの購入、設置、レストランの開店など準備に2年近くかけました。1995年に地ビールの免許取得の条件が緩和されてから、日本にも数多くの地ビールメーカーが誕生しました。その多くは、商社や大手のビールメーカーからプラントを輸入していました。私もいろんな企業から話を聞きましたが、商社などを経由するとプラント代だけで7000万以上かかり、とても事業化は難しいと判断し、直接アメリカの業者からプラントを輸入することにしました。アメリカは実はクラフトビール(日本でいう地ビール)のメッカで、1000を超える地ビールメーカーがあります。醸造技術もしっかりしており、醸造技術者を育てる学校もありました。そこで私はアメリカでの実績が豊富で、醸造学校も経営している会社からプラントを直接輸入しました。手続きも全て自分でやったため経費は半分以下で済みましたが、打ち合わせから契約まですべて英語で苦労しながらでしたが、いい勉強になりました。免許取得のための書類も全部自分で作りました。コンサルタントに頼むとそれだけで数百万。ブルーワーも醸造学校を卒業し、現場でバリバリやっている人に来てもらいました。ここまでの作業を自分でやったことが資金面だけでなく後々役にたったと思っています。知識・経験だけでなくどんなビールを造るのかを考えるす。
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